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琉球競馬の跡地である今帰仁村の仲原馬場を訪ねて

琉球競馬の跡地である今帰仁村の仲原馬場を訪ねて



沖縄には士族と平民の娯楽として「競馬」が盛んだった時期があり、その様相は今のような「競馬」のスタイルとは異なり、馬たちの歩く姿や立ち振る舞いが美しいほど「名馬」とされてきました。

また、馬を彩る装飾も重要視され、速さを競う「競馬」とは一線を画すものでした。

 

もちろん速さを競う「競馬」もあったようですが、当時は全速力で走らせると「ヤマト走り」と言われバカにされたそうです。つまりは、現代でいう「乗馬」のスタイルで優雅さを競い合っていたのです。

 

そんな沖縄のいわゆる「競馬場」は全盛期におよそ200場以上あったものの現在でも跡地として確認できるのは「今帰仁村(なきじんそん)」にある仲原馬場と「宜野座村(ぎのざそん)」にある松田の馬場の2ヶ所だけとのこと。

 

1943年(昭和18年)に那覇市での開催を最後に途絶えたとされ、その理由は戦争などで軍馬として使用するために在来馬の去勢法が施行されたこと。加えて戦争という状況の中「競馬」を楽しむということができなくなってしまったためです。

 

沖縄に残されたたった2ヶ所の競馬場跡地である「今帰仁村の仲原馬場」で、琉球競馬(りゅうきゅうけいば)を感じてきました。

 

 

琉球競馬跡地の今帰仁村にある仲原馬場

沖縄県指定の史跡にもなっている幅30m、長さ250mの仲原馬場。

取材当日は雨が降ったこともあり、馬場がぬかるんでいましたがその光景に感動を覚えました。

馬場の周りは高さ1mほどの土手があり、琉球松が植えられ並木道になっています。昔はこの琉球松に馬を係留していたそうです。

 

私はもともと競馬の騎手を目指して15歳の頃、オーストラリアに留学していたのですが、その前は乗馬クラブに通い馬術を磨いていました。なので、日本競馬が求めている「速さ」はもちろんのこと、琉球競馬が求めている「美しさ」というものもすぐに理解できました。

 

乗馬でも用いられる技法の1つに「側対歩(そくたいほ)」と呼ばれるものがあり、琉球競馬でも優雅さを競うためにはこの「側対歩(そくたいほ)」は必須の条件だったようです。

 

ちなみに「側対歩(そくたいほ)」とは、通常バラバラに動く馬の四肢(脚)を右前後脚同時、左前後脚同時に動かし前進する歩き方で、なかなかのテクニックを要する歩行技術です。私の技術ではできないやつです(笑)

 

難しいんだよなあ・・・。

 

私は、この仲原馬場の真ん中で少し目を瞑って、想像してみました。

華やかに装飾され、優雅に歩く馬たちの姿を。

周りにはたくさんの観客がいて、皆楽しそうに観戦している姿を。

 

何百年も前から、この地で行われていた「競馬」になんとなく触れることができたような気がします。

なんなら、私が琉球競馬の騎手をしてみたいなと。そう思いました。側対歩できないけども。

 

 

今帰仁村の世界遺産「今帰仁城跡」

仲原馬場のある今帰仁村は世界遺産にも指定された「今帰仁城跡」があり、外国からも多くの観光客が来ています。首里城とほぼ同規模の今帰仁城跡は積み上げられた石による城壁がすごい迫力で迎えてくれます。

 

仲原馬場から車でおよそ20分くらいの近さの世界遺産「今帰仁城跡」

文献によると、廃城された前後で「琉球競馬」が始まるのですが、関係性は謎。

 

学生の頃、社会科は苦手だったけど、大人になってから感じる歴史の重厚さって、なんだか探究心をくすぐりますね。そして歴史ってなぜだか儚い。

 

どこか心、落ち着く村でした。

 

 

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